いつ論文を投稿するのか

 先日、出身研究室の後輩さんに「朴さんは、どういう状態になったら論文を投稿するのですか?」という質問をされて、うまく答えられませんでした。気になったので、少し考えてからこちらに書いておきます。  論文を投稿するのは、「早ければ早いほどいい」のか「ある程度寝かしてからの方がいい」のか、どちらでしょう。私は学生時代に、「早ければ早いほどいい」と思っていました。修士1年のころから国内ジャーナルに投稿していたし、博士1年からは海外ジャーナルにも投稿していました。実際に掲載されるようになったのは、国内ジャーナルには修士2年から、海外ジャーナルはPDになってからです(海外ジャーナルへの投稿がうまく進まなかった理由は前に書きました)。  そう思うと、割と早くから投稿したほうなのかな?という気もしなくはないのですが、修士に入った時から投稿していた最大の理由が「論文投稿をなめてかかっていた」「論文投稿とは何をどうすることなのかよくわかっていなかった」というものなので、全く偉そうなことは言えません。つまり、自分の実力を理解していなかったので、たぶんいけるだろうと思ってどんどん投稿していたのです。査読者の先生方の「こりゃダメだ」「何だこいつ」というお気持ちを想像するだに恥ずかしくなります。修士1年の時に投稿した論文は今になって読み直してもすべてびっくりするぐらいだめです。そもそも論文の体をなしていないし先行研究は読んでいないしデータは少ないし分析はほとんどしていないし引用の書き方はいい加減だし。私は人生すべて黒歴史、と言って過言ではないのですが、過去の投稿論文もかなり黒歴史です。査読者の先生方にはこの場を借りてお詫びいたします。ごめんなさい!  ただ、そうやって他人様にご迷惑をかけまくった結果として得たメリットとして、書けば次が見えてくるということがありました。私の場合、自分がどこまで知っていて、次に何をしたいのかが、書かないとわからないようです。私はここまで考えていたんだな、このテーマでここまでわかったのだったら、次にわからないのはここだから、このことについて調べよう、という感じです。書いてから見えるか、見てから書くか、これは個人的な性質の違いにもよるかも知れません。私は大局に立っていろんなことを見る、ということができず、とりあえずやってみてから考えることばかりです。できそう!できるに違いない!やってみよう!だめだった!もういっぺん!よーし次!みたいな感じでしょうか。頭悪いな。でも、私の「完璧」なんて大したことないのです。それよりは「なんだこりゃ」であってもないよりはましだと思います。  後になって論文を書くことのメリットは(私は体験していないからよくわからないのですが)やはり博士論文を構想しながら個々の論文を執筆できるということが挙げられるのではないでしょうか。といっても私の場合は個々の論文と博士論文とがけっこう違います。何と言っても博士論文は1つで1つの論文です。個々の論文をバインドしたら博士論文になるわけではないからです。  で、結局いつがいいのかと言うと、「ゼミや研究会で発表して同期・先輩・後輩の意見を聞いてから」というのが、いちばんいい答えかもしれません。指導教員に相談する人もいるかもしれませんが、私の出身研究室の先生方はどなたもいつもご多忙だったので、私はあまり相談しませんでした(し、先生も「好きにしたらええやん」という感じでした)。それよりも、同期や先輩・後輩と研究会やゼミ、あるいは研究室や飲み会の場で雑談しているときのほうが、アイデアが浮かんだりヒントをもらえたりすることが多かったです。自分の持っているデータや資料、考えていることや困っていることをシェアすると、それだけで考えが進むことが多いのではないでしょうか。私はこのことの重要性を学部のときにはわかっておらず、とても損をしたと思います。何より、遠慮なく叩きあえるのは年齢や立場が大体同じ人と一緒にやる研究会やゼミなどのピアレビューの場だけです。学部や大学院に在籍している一瞬の間だけでも、そういう場で議論することには意義があるはずだと思っています。 【以下、閲覧注意!下品な話が出てきます!】  そうそう、論文といえば修士論文を出し終わってすぐ、指導教員の先生に「私の論文、どうでしたか?」と質問したら「うんこやった」と言われました。非常にショックを受けて「うんこ……ですか……」と答えたら「ああ、君の論文が特にうんこっていうわけじゃなくてな、論文はだいたいうんこやねん。形はどうでもええから、出すのが大事や」「ほんで出したら水に流し」と言われました。確かに毎回、全く立派なものを出せないのですが(論文の方ですよ!)、それでも出すことの方に意義があると信じています。 Advertisements

単著を出版します

今月末、ナカニシヤ出版さまから、博士論文を基にした単著を出版していただくことになりました。 http://www.nakanishiya.co.jp/book/b307772.html 私は何かと考えなしにやり始めてしまって、勢いだけでどんどん進めてしまって、最後の最後が完成しなかったり、詰めが甘かったり、出来上がってから恥ずかしい思いをすることが少なくありません。むしろそうでなかったことってこれまであったのかな……ないような気がしてきた……。投稿論文も博士論文も、そして今回の単著もそういう感じです。なので、単著が出るにあたって、喜びや達成感というよりも、不安や恐怖の方がずっと大きいです。「これはないやろ」というデータの読み間違い、勘違い、極論・暴論・こじつけ、etc. が山ほどあるに違いない、「もっとああすればよかった」「どうしてこれができなかったんだろう」……すぐそういう気持ちになるに違いない、と思っています。これまで人前に出した論文は、投稿論文も博士論文も全て、出版されて1週間もすればそういう気持ちになります。早いよ。 いや、本当はこんなことを書くつもりではなかったのです。何を書こうかと思っていたかというと、単著には載せなかった「あとがき」を、ここに書いておこうと思ったのです。単著にはあとがきの代わりに何を書いたかというと謝辞を書きました(謝辞って普通、本の冒頭に書くんじゃないんですか、というツッコミはご容赦ください)。 というわけで、以下、あとがきが続きます。 大学に入った時の自分に、13年後にこんな本を出すよ、と言っても、おそらく信じないでしょう。大学院に入って以来ずっと「こんなはずじゃなかった」と思い続けています。研究職に就きたい、とはずっと思っていました。そういう希望を持つ環境で育ててもらったことや、それを実現できる関係の中にいさせてもらったことは、私の力でもなんでもありません。本当に幸運だと思います。でも、本当はこんなことを研究するはずではなかったのです 恥ずかしい話ですが、私はずっと、歴史学を研究したいと思っていました。それも、例えば中世ヨーロッパ史や13・14世紀ユーラシア史のような、今の日本や世界とは一見すると無関係そうなことを研究したいと思って大学に入学しました。人付き合いが好きじゃないし、だいたいどこでもあまりうまくいかないのはこれまでの学校生活でよくわかっているから、これから私は一生、好きな本を読んで暮らすんだ、そのためにこの大学に入ったんだから、と、2004年の春には思っていたはずなのです。 しかし「どうやら日本人の中には、私の親戚を面白いと思う人たちがいるらしい」ということは、中学校の頃から感じていました。ただ親戚の話をしているだけでウケる。関西人にとってそんな楽で「おいしい」話はありません。 私にとって、私の親戚はいつも謎でした。私に似ているところもある。けれども全く違う。彼らはいつも怒っている。彼らはいつでもお酒を飲んでいる。彼らはいつでも大声で話している。彼らは兄弟姉妹からお金を借りて返さない。彼らはバッハの「無伴奏チェロ組曲1番」と北島三郎の「孫」の区別がつかない。彼らは不思議な日本語を使う。彼らはジョン(韓国のピカタ)のことを「卵焼き」という。彼らは他の日本人とも、韓国にいる韓国人とも違う。何がどう違うのかわからないけれども、とにかく歩き方から話し方から、何もかも違う。そういう感覚をずっと抱いてきました。そして、たまたま「社会学って何をするのかさっぱりわからないから授業を受けてみよう」と思って受講した授業のレポートで「生活史インタビューをする」という課題が出された時に、いい機会だから誰かにインタビューをしてみようと思ったのです。 最初に伯父の1人が、3時間近くほぼ休みなしに彼の人生を私に語った後、私は京阪電車の車内で「この内容なら博士論文まで余裕だな」と思いました。私は非常に打算的でした。私は「ものすごく面白いネタの宝庫」に出会った。この宝庫の鍵は私しか持っていない。日本人は、いや、うまくすれば世界のあちこちにいる知的なマジョリティも、私が鍵を持っているこの宝庫の中のネタを面白がるだろう、と。そして何より、あの時に伯父が話したいろいろなこと−−子供時代の記憶、済州四・三事件とそれに関連する彼の移住、その後の大阪での生活、などなど−−について書く人は、私以外にはあり得ないと思いました。他の人が書くなんて許せない、という方が近いでしょうか。 ただ、実際に論文として書こうとすると、これが難しかったのです。エッセイのようなものだったらすぐに書けたのかもしれません。でも私は「社会学っぽいエッセンスをまぶした、左っぽい人にウケる文章」なんて書きたくなかった。私や私の親戚たち、そして調査の過程で出会ったハルモニ、ハラボジたち、彼らを支えるたくさんの人たちやその活動は、そんな手軽なネタとして消費されてはならない。彼らの経験は、日本人の、私なんか20回生まれ変わったって敵わないような、賢く厳しく学問を愛するあの人たちをして刮目させうるような、それくらいの価値を持たなくてはならない。そういう立派な人たちの過去に対する理解を変えるくらいの力を、私たちは持っているはずだ、と。 今にして思うと、どう考えても誇大妄想というか他の人の業績を何も考えていないというかなんというか……(だって私が書いている時点で、どう考えたってそこまで価値を持つはずがないのですから)。伯父さん伯母さん、ごめんなさい。 それに、自分自身の出自や来歴に関わることについて、私は冷静ではいられません。そして、私はできればいつも、少なくとも人前では、冷静で落ち着いて穏やかでありたいのです。本当は在日コリアンの歴史や差別の問題なんて関わりたくない。関わるならちょっと上の方から冷静にコメントしたい。いつもそんなことはできないわけですが。 だから、「よし、私はこのネタで博士論文まで行くぞ」と決めたあとでも(と言っても本当にそう決めたのは博士後期課程2年生の時だったのですが)、いつも釈然としないものがありました。今もあります。関わりたくない、触れたくない、考えたくない。でも考えずにはいられない。 以前、こういう状態がしんどい、と漏らした時に、とある優秀な日本人の男性研究者の方から「わかります、研究ってそういうものですよね!」と同意されました。違います。研究することや論文を書くことがしんどいのではありません。論文を書くことの苦しさや楽しさと、私がここで書いていることとは、まったく無縁のものです。その無縁さに気づかないでいられる人を、私は心から羨ましく思います。私もそのように研究してみたかった。そのような研究をするはずだった。でもそうできなかった。それは私の選択ですが、しかしそれでも私は、来世があるならあなたのように発言できる立場に生まれたい。 いや、やっぱええわ。 だってもし、私がいま、13年前の私に「こういう風になるよ」と教えたら、13年前の私はおそらく、やっぱり同じように不満を垂れ流しながら、結局は同じようなことをするだろうと思うからです。もっといろんなことを効率よくやるかもしれないけど、私なのでそこまで賢くもないでしょう。 というわけで、単著が出版されることが、とてもとても怖いです。できれば読まれないでほしい。いや、やっぱり読んでほしい。あ、ごめん、やっぱりやめてください。そういう気持ちです。まな板の上の鯉のような気持ちです。あとは皆様からの学問的ご批判を全て、ありがたくお受けします。どうぞよろしくお願いいたします。

日本学術振興会特別研究員

 年度が始まり、そろそろGWだなと思うようになると、そういえばあの時期がきたな、と思うのです。あの時期というのは、日本学術振興会特別研究員(DC, PD, RPDなど)申請書を所属機関に提出する締切の時期です。  実は私は、申請書を書くのは割と好きな方です。これまで日本学術振興会特別研究員DC2・PD・RPDに内定しましたが、どの時もそれなりに楽しんで書きました(DC1には応募せず、RPDは運よく常勤職につくことができたために辞退しました)。その時期を振り返って、申請書を書く時に気をつけていたことをいくつかメモしておこうと思います。 (1)誰かに見せてもらう  特別研究員に応募しようと思ったら、まず友人・知人・先輩方から申請書をいただきました。もっと正確にいうと「誰それ先輩は自分が通った時の申請書を見せてくれるらしい」という噂を聞きつけて「そんなことがあるのか!」と驚くところから始まりました。私の出身研究室では、特別研究員に内定した先輩方が、親切にも後輩に見せてくださいました。見せていただいたものをじっくり読み込み、どのように書けばいいのかを勉強します。ここで「どのように書けばいいのか」というのは、論旨の展開の仕方や文章表現といった高度なものから、どうすれば目を引く申請書を書けるのかという、純粋に技術的なものまで含みます。最近はブログなどでご自身の申請書を公開している方もおられるようですので、そういう方にお願いして申請書を見せていただいてもいいのかもしれません。  蛇足ですが、見せていただいた方には後日、御礼かたがた結果の報告もしましょうね。 (2)何度も書く  私は一度でいい文章を書けたことがほとんどありません。申請書でも論文でも学会報告や研究会の口頭報告でも、大体いつも何かを書くときは3回以上書いています。ちなみに論文も査読コメントをいただく度に内容がかなり変わってしまうことが多く、査読者の方々には毎回本当にご迷惑をおかけしています……。  1回目に書くときは、論文の書き方とほとんど同じように書いています。といっても、申請書では書くべき項目が前もって決まっているので、まずその項目を書き出して、その項目ごとに書きたい内容をどんどん箇条書きにしていって、これ以上思いつかないところまで書いたら、箇条書きにした内容の順番を入れ替えたり、重複を削ったり、足りないところを補ったりして、最後に文章にするというやり方です。ちなみに、ものすごく行き詰まったときは裏が白い紙を小さくちぎって、そこに頭の中に浮かんでいる単語をどんどん書く作業を15分ぐらい(論文を書くときなら30分ぐらい)やって、そのあとその単語が書いてある紙の切れ端を机の上に広げて、全部を漫然と眺めながらグループ分けしていきます。風が吹いたら紙が飛んでしまうので、毎回紙が飛んでしまってから「付箋でやればよかった」と思っています。単語をグループ分けしたら、それをノートなりPCなりに書き込んでいって、単語を補って、箇条書きのメモにしていきます。あとは箇条書きのメモから文章を作っていくだけです。 (3)人に読んでもらう  一度は自分以外の人に読んでもらう機会を持つことを、強くお勧めします。私はだいたい、1度書いてみて書き直した時点のものを読んでもらいました。特別研究員の申請書は(科学研究費の申請書も)、同業者(研究者)が読むという点で、例えば自分の両親に研究について話したり、大学院に行きたいから学費を出してくれと説得するより、だいぶ楽なはずだと信じています。うちの親ときたら(以下自粛)。  誰に読んでもらうか、ですが、一緒に申請する人同士で読み合いっこするのはいいかもしれません。気のおけない仲なら、わかりにくいところやもっと強調すべきところを遠慮なく話し合えるでしょう。ただ、同期や親しい先輩・後輩間だと、すでにお互いの研究内容を知っているので、それがかえって申請書の問題点を見えにくくしてしまう時もあるかもしれません。欲を言えば「自分のことを知っているけど研究内容はそれほど知らない」大学関係者(隣接分野)の人にも、一度読んでもらえると心強いですね。まあ、そういう人はなかなかいないんですが……。 (4)こっそり毎回やっていること  ちょっと恥ずかしいのですが、私は時間に余裕のあるときは、自分の書いたものを声に出して読むようにしています。声に出すことで、自分の書いたものが目で見ている時とは少し違って感じられるような気がするのです。それで「あ、この言い回し変えよう」「ここは同じことを言ってる」「一文一文が無駄に長い」と思うこともよくあります。あと、これは単に私がそう思っているだけなのですが、声に出して読んで快い文書は、目で見ても快いのではないかと思っています。お前は申請書に何を込めているんだ、と言われると、まあその通りなのですが……。  申請書では、いつも「今こんな問題がある→現状ここまでわかっている→それでも分からないことがある→だからこのことを調べる→これがわかるとこんな素晴らしいことが!→もし私が調査研究に専念できればこんなことができます」というストーリーを展開するように心がけていますが、声に出して読んだ時に、この筋を無駄なく展開できていると、自分でも気分が盛り上がります(ああ、本当に私アホみたい……)。  2年や3年で、天下国家を救うような、偉大な研究ができるわけではないかもしれません(私に限って言えば、そういうのは無理です)。でも、その程度の期間で、私程度の能力でも、学術的には意義のあることはできるし、それはこの程度のお金があればこの程度の時間でできます、計画はばっちり、あとはお金と時間をください! と自分以外の人にきちんと説明する機会は、私はとても大事なものだと思っています。だから私は、特別研究員の申請書を書くのは、そういう意味で、ちょっとしんどいけどけっこう好きです。行き詰まったときは「私はなんでこの研究をしたい(しないといけない)と思っているんだろう」「この対象の何に(どこに)私は惹かれているんだろう」と考えることにしています。  余談ですが、学術研究で「それをやって何が面白いんですか」と質問される(したくなる)場合、「あなたがその対象を調査しなければならないと思っておられる理由は何なのですか」と質問すればいいのではないかと思っています。  今まで一度だけ、特別研究員に申請して落ちたことがあります。海外特別研究員に応募した時です。このときは、「この調査をしたい」という気持ちよりも「海外で調査したい」という気持ちが先に立っていました。この時に書いた申請書は、今になって読み直してもいまいちな出来です。自分で自分を説得できないときは、やっぱり他人も説得できないのかな、と思います。  色々と偉そうなことを書いてしまいましたが、今まさに申請書と格闘しておられる方が、朗報を得られますことを心から願っております。

海外ジャーナルに投稿する時のこと

新年度の授業が始まりました。今年はどんな学生さんたちとお会いできるのか、楽しみです。 私は英語でなかなか論文を書くことができず、書いても査読を通らず、これまで3本しか掲載されておりません(先日ようやく4本目を投稿したところですが、どうなることやら)。英語がとりわけ苦手、というわけではないのですが、どうしてうまくいかないのか、いくつか理由を考えてみました。 実際のところ、英語論文の書き方や表現方法を教えてくれる本はいくつも出版されています。私も学生の時に石井クンツ先生の本を読んだり、アカデミック・ライティングの授業を取ったりしていました。が、やはり本を読んで納得するのと自分でやってみるのとは全く違うのです(単に私の理解力や読解力が乏しいだけかもしれませんが)。基本的に、常に「泥棒きたりて縄をなう」方式で勉強してきたので……と書いていたら、自分が経験していないことを理解できないのでは、研究者としては致命的にダメなのではないかという気がしてきました。自分で書きながら気になったことをいくつか、メモしておこうと思います。 ※以下、主に「すでに査読を通過した日本語の論文あるいは研究ノート等があり、それを元に英語論文として書き直して海外ジャーナルに投稿したい場合」について考えます。 ※※私は↑のようなケースでこれまで3本投稿し、1本受理されました。「最初から英語論文として書く場合」は、これまで2本投稿して2本掲載されました。ということはいきなり英語で書くほうがいいような気もしないではないのですが、単にジャーナルとの相性の問題ではないかと思われますし、おそらく↑のようなケースの方のほうが多いのではと勝手に思っておりますので、それについて書きます。なお、両方やってみた結論としては、最初から英語で書くほうが楽です。その際には、私は日本語で箇条書きのメモをたくさん作って、それを切って貼って並び替えてから英語で書いています。でも英語だと細かいところまでうまく表現できなくて、そうなると思考も曖昧になりがちなので、最近は日本語の箇条書きの状態で完成させてしまってから英語にすることのほうが多いです。 (1)文脈の重要性 実際に自分で書いてみて、一番めんどうで面白いのは「自分の研究が読まれる文脈が異なる」というところでした。語彙や細かな表現は、最終的に英文校正者にお任せできます。しかし、「自分の研究が何として読まれるか」という問題や、節・パラグラフの組み立ては、英文校正者にはどうしようもない問題です(個人指導をお願いする場合は別です)。 博士課程1年生の時、オーストラリア国立大学に1セメスターだけ留学しました。その時に英語論文を書いてみようと思い(結局通らなかったのですが)、学内のAcademic Skills and Learning Centerというところにドラフトを持って行ったことがあります。頂いたコメントは「どの程度の知識のある人を想定しているのか?」「あなたはパラグラフの書き方を知らないのではないか?」という2点でした。どちらも非常に初歩的なことではあるのですが、今でもよく思い出して「またやっちゃった」と感じます。 つまり、これまで投稿してみた限り、私にとって日本語ジャーナルと英語ジャーナルの一番の違いは、言語ではなく、読者の前提知識の違いです。例えば、私の場合だと、これまで在日コリアンについて書かない論文というのは(書評論文以外で)ほぼありませんでした。日本の社会学雑誌に投稿する場合、例えば日本に在日コリアン(在日韓国人・在日朝鮮人・オールドカマー・などなど)という人間集団が存在することを全く知らない読者がいる、ということは、あまり想定してきませんでした。ですが、かつてJournal of Oral History Societyに投稿した際、査読者からついたコメントの中に「そもそも日本にエスニック・マイノリティがいるのか」「なぜコリアンが日本に住んでいるのか」といったものがありました。その時は査読コメントを読んで「まあ、そうだよな……」と1人でつぶやいてしまいました。 (2)先行研究を変える 自分の研究が読まれる文脈が異なるという話に関連して、先行研究が変わります。私の場合、日本において「在日コリアン研究」と呼びうる先行研究群があります。しかし、私が投稿したいと思っている海外ジャーナルの読者はどうでしょう。博士課程1年生の夏、初めてダニエル・ベルトー先生とカトリーヌ・デルクロワ先生にお会いした時、ベルトー先生は私の学会報告を聞いて「つまりあなたは、日本におけるサン・パピエの歴史を研究しているんですね」とおっしゃいました。私はそれまで自分の研究が「在日コリアンの生活史」以外の何かであるなどということを考えたこともなかったのですが、私の報告は、ベルトー先生にとって「日本におけるサン・パピエの歴史」でした。 ということは、その日その会場にいた人々は、それぞれの関心や部会のテーマ(確か「移住者の家族とbiography」というテーマだったような)に引きつけて私の報告を聞いていた(か興味がなければそもそも聞いていなかった)ということです。そして私は、もっとその部会のテーマをきちんと読み込み、そこに来る人がだいたい何を期待しており、彼らの関心やそれをもたらしている先行研究が何なのか、ということを勉強してから報告するべきでした(そのときは、ベルトー先生とデルクロワ先生はとても親切にコメントをくださったのですが、それは私自身の力ではなく、データの力だと思います)。 当たり前のことばかり書きますが、このときの先行研究は、外国語で既に読まれているものの方が、相手(最初の読者=査読者)にとっては理解しやすいです。でも、査読者が誰なのかなんてわかりませんよね。ということで、そのジャーナルに掲載された過去の論文の中で、自分の投稿しようと思っている論文に関係しそうなものをいくつか読んで、その論文が引用している本や論文をまた読んで、という作業を繰り返します。あるいはWeb of scienceなどの検索エンジンを使って、自分の研究のキーワードに関連するものの中で被引用数の高い論文を読んでいく時もあります。さらっと書きましたが、ここが一番時間がかかります。そして、自分が「わかったつもり」になって見落としていたことにたくさん気がつくところでもあります。 (3)中身を変える 先行研究が変われば、当然ながらイントロダクションの部分(論文の目的や概要を書くところ)も変わります。なぜなら、イントロダクションのところでは、「この論文は何について書くのか」「なぜそれについて書くことが重要なのか」を述べなければなりませんが、それは、先行研究と結びついていなければ書けないからです。データの考察の箇所や結論部分も変わります(私がこれまで書いた限りでは、分析の箇所はあまり変わりません)。私は分析部分では基本的に「データから直接言えそうなことはかくかくしかじかのことですよね」という内容を書いていますが、考察部分では、データから導かれる知見について、つまり、データを噛み砕いた結果何が言いたいのか、ということについて、先行研究と関連付けて説明するからです。結論部分については言うまでもありません。結論部分では、結局この論文で言ったことは何なのか、それは先行研究に対していかなる貢献をなしたのか、ということをもう一度まとめるからです。つまり、データとその分析以外の箇所はほぼ全面的に書き直す羽目になる、ということです。そうでなければ、オリジナルな論文を投稿したとは言えないので、全面書き換えになってしかるべきなのですが。 この時に、日本語から英語に移し替えていくと、かなり変な論文になります。以前、International Journal of Japanese Sociologyに投稿した時、査読者から「組み立てがロジカルでない」というコメントをもらいました。何をどうすればロジカルになるのか、という問題については、おそらく数多く出ているパラグラフ・ライティングの教本が役に立つかと思われます。が、私の場合はとにかく「オチ→オチの理由→理由をいうためのデータ→オチ(→オチから導かれる「もう一声」、つまり、ファインディングを先行研究に関連付けた時、先行研究に対していかなる発見があり、それがどのような点で貢献できるのか)」の順になるように、そして日本語で書く時ならなんとなく流し読みできてしまうような表現をすべて削るようにしています。この作業については、元になる日本語の文章があることで、逆に足を引っ張られてしまうようです。 (4)最後に 海外ジャーナルに投稿する時に一番楽しいのは、実は、先行研究を変える時です。このジャーナルを読む人は何に興味があるのかな、私の研究はどういう風に読まれるのかな、この先行研究に関連付けるのはどうかな、へえこんなこと言ってる人がいるんだ、などなど思いながら読んでは書き読んでは書き、というのは、時間もかかるし面倒ではありますが、そもそも勉強というのは時間がかかるし常にちょっと面倒なものだと思います(むしろ面倒でなくなってしまったら、私の場合は堕落し始めているんだろうと思います)。査読コメントを読んで悔し涙で枕をぬらす(いやむしろ壁を殴って指を傷める)こともしょっちゅうですが、そういう「ちょっと嫌なこと」を繰り返すのが楽しいような気もします。

Hoover Institutionの行き方・使い方など

あっという間に新年度ですね。今年は身近な方々が就職されたり職場を変わられたりして、新しい季節になったんだなと感じます。春は暖かくなるし桜も咲くし山も綺麗になってくるしで、1年のうちで1番好きです。 さて、3月の後半、アメリカ合衆国パロアルトはスタンフォード大学内にあるフーヴァー研究所(http://www.hoover.org/)に行ってきました。実際に行ってみて、わかりにくいところがいくつかあったので、自分自身のためにもメモしておきます。もしこれからフーヴァー研究所に行かれる方のお役に立てるなら、望外の喜びです。 【行き方】 私は調査初日には、サンフランシスコ国際空港からBartという電車とCalTrainという電車を乗り継いで行きました。が、サンフランシスコ国際空港からCalTrainの乗り継ぎがよくわからず、駅2つ分しか移動しなくていいはずなのに、なぜか40分ほどかかってしまいました。簡単に経路だけ書いておくと、 (1)サンフランシスコ国際空港からBartのSan Francisco International Airport駅まで移動する(空港内の無料電車があるのでそれに乗る) (2)BartのSan Francisco International AirportからSan Bruno駅まで戻る ※ここで直接Millbrae駅まで移動すればCalTrainに乗れるはず、と思っていたために、なかなか電車が来ずに空港の駅でぼーっとする、という無駄足を食いました (3)San Bruno駅からMillbraeまでBartで移動し、MillbraeでCalTrainに乗り換え、そのままCalTrainでPalo Altoまで移動 です。 2日目からはSanFranciscoからCalTrainで移動したので、この問題は起こりませんでした。サンノゼから移動する場合はどうなんでしょうね。 【駅から大学まで】 Palo Altoの駅前(サンノゼ方面行きホームを出たところ)にバス停がいくつかあります。駅のすぐ目の前、ではないところに、X番線のバス停があります。私は調査日程中はこれを利用しました。他にもあるみたいですが、これがどうやらもっとも単純かつ早く、また本数もそれなりにあるようでした。乗って7分ほどでUniversity Ovalというところ(写真)に到着します。ここから向かって左手に進めばフーヴァー・タワーが見えてきます(写真)。 ずっとお天気に恵まれましたので、2日目の帰り道や3日目の朝など、少し気持ちに余裕が出てきたときには、駅から大学まで20分弱歩きました。 【フーヴァー研究所の使い方(というか見つけ方)】 フーヴァー・タワーが見えたら、その下まで行きます。タワーの左手に思いっきり「Herbert Hoover」と書いてある石(写真)があるので、そこを左に曲がった右手の建物の地下に入ります。 地下に降りてから研究所の扉までの行き方はちょっとわかりにくいですが、文字でも書きにくいので省略します。 研究所に入ると、最初は利用者カードを作ります。パスポートや免許証(と言われたけど、おそらく日本の免許証ではだめなのではないかと思うのですが……)を出せと言われます。あとは向こうの職員さんに指示されるままに、必要な項目(所属先・職位・住所など)をPCに入力すると、紙でできた利用者カードをもらえます。 私はこのときに「主に何について調べたいの?」と質問されました。「日本の戦後処理プロセス」と簡単に答えたところ、関連する資料の一覧をプリントアウトしたものをもらいました。もちろん文書はオンラインで検索できますが、私は電車の往復(1時間弱)の間に目を通しました。 資料閲覧室にはPC・カメラ・携帯電話(と充電器)以外のものは持ち込み禁止でした。全部ロッカーに入れて入ります。コピー機もありましたが、カメラで資料の撮影が可能なので、コピー機を使っている人は見かけませんでした。 資料の閲覧は決まった時間に(朝9時から1時間半に1回程度)職員さんが資料室に入って資料を取ってきてくれます。ですので、資料の名称には気をつけましょう。私は初日の最初の閲覧申請の時、資料の名称(Collection Title。例えばこの資料(http://www.oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/tf987006pg/?query=japan)なら「Register of the Japan, Koshikan (Korea) Records, 1894-1910」)を正確に書いておらず、職員さんに「あなたね、あなたの先生が、あなたの論文を読んで、資料の名称を正確に書いていなかったら、どう思うと思う? きっと「ああこの子はきちんとやる気がないんだな」って思うでしょうね。そんなの嫌でしょう?」と言われてしまいました。大変恥ずかしい……ていうか教員だって申告したんだけど……いや先生がいるのは同じか……。職員さんはどなたもとても親切で、いろいろと相談に乗ってくださいました。 【その他】 食事:どこに行けば飲食できるのかよくわかりませんでした。少し東に進んだところに「Bon Apetit」という食堂があったので、そこの定食を食べていました。レギュラーサイズだと1.8食分くらいあるので、レギュラーサイズを注文して持ち帰り容器に入れてもらって2回に分けて食べるか、割高になるけれどもスモールサイズを注文するべきだったと、初日に後悔しました(だってお腹空いてたんだもの)。フーヴァー・タワーをぐるっと一周すると簡単な喫茶店があります。が、サンドイッチ1個8ドルって普通なんでしょうか。いやそれぐらいの大きさではあるんでしょうけれども。パロアルトの駅に隣接して「Cafe Venetia」という喫茶店もありますし、大学と反対方向に行けばそれなりにお店もありそうでした(が、私はそっちをゆっくり散策しておりません)。 Wifi:私はEduroamを使いましたが、ビジターとして使える学内ネットワークもあるようです。閲覧室や食堂でも問題なくネットに繋がります。バスの車内でも、ビジターとして使えるネットワークがありました(使いませんでしたが)。 トイレ:閲覧室のすぐ近くにあります。冷水機もあります。 今回、Palo Altoで宿を取ろうとしたらお値段が高すぎて、サンフランシスコに泊まって毎日電車で移動することにしました。CalTrainは大きくて、駅にやってくるだけで「おー」と声が出てしまいました。自転車専用車両があり、座席も大きく、朝の時間(7時すぎ)は空いていて快適でした。そうそう、切符を買わなくてもCalTrainに乗れてしまいますが、私は4日間の日程中4回(つまり1日に1回)は検札にあったので、無賃乗車はやめておく方が身のためだと思います。 スタンフォード大学は公園のように綺麗で、なんだかなー、綺麗すぎて腹がたつなーと思いつつ、やっぱり綺麗だなーと思いながら過ごしました。また機会があれば、今度はもう少しゆっくり過ごしたいです。

1・2月に読んだ本

すっかりバタバタしていて更新できずにおります。いやこんなしょうもないことを書いて誰が読むんだって話なんですが。お仕事に関係ない本をメモしておくのは、後になって「あ、これ面白かったなー」「あ、これ前に読んでいまいちだったわ」と思い返すためです。やっぱりしょうもないわ……。 ・横田冬彦『天下泰平』(日本の歴史16 講談社学術文庫) めちゃくちゃ面白かったです。みんなが望んだ平和な世の中が訪れて、それでめでたしめでたし、ではもちろんなくて、その中でこそ庇護されるべき人々とそうでない人々が作られていく様子が。綱吉のイメージがちょっと変わりました。 ・樺山紘一『ヨーロッパ近代文明の曙 描かれたオランダ黄金世紀』(京都大学学術出版会) 絵画から歴史を読み、歴史から絵画を読めばどうなるか、という試みのようです。でも、正直いってそこまで面白くなかった……。絵画評論を面白く書く、というのは難しいのでしょうか。絵画に寄るか歴史に寄るか、どちらか極端でないと面白くならないのかもしれません。いやよくわからないけど。 ・稲垣良典『カトリック入門』(ちくま新書) カトリックではなく、クリスチャンでもなく、そもそも信仰もないのに何を読んでいるんだと自分で突っ込みつつ読んだのですが、信仰心と専門的な知識が、同じくらいの水準で組み合わさって、これ本当に新書なんだろうか?と思いました。しかし私にはカトリシズムはともかく、日本的霊性なるものがさっぱりわかりませんでした……。 ・篠田英朗『集団的自衛権の思想史』(風行社) 私の乏しい知識ではこれを評するというのは難しいです。が、こういう視点からの議論を、2015年に欲しかったと思います。 ・茶の湯文化学会編『講座日本茶の湯全史 近代編』(思文閣) とりあえず講座日本茶の湯全史を読み終えました。井伊直弼が娘の教育に熱心すぎるんじゃないかという思いを抑えきれないんですが……。 ・モーリス・センダック『センダックの絵本論』(岩波書店) 全然知らないアメリカの絵本作家がいっぱい出てきて「?」という感じではありました。が、センダック自身による作品解題はとても面白かったです。『かいじゅうたちのいるところ』のかいじゅうたちの外見は、センダックの親戚(ポーランド系ユダヤ人移民1世)で、彼らがときどき自分の家にやってきて、たくさん飲み食いするのが、センダックは嫌で嫌で仕方なかったんだとか。だよねーだよねー、やっぱり「かいじゅうたち」だよねー。私は、センダック作品では、実は『窓の外のそのまた向こう』が一番好きなのですが、あれはセンダックのお姉さんに捧げた絵本なんだなということも知って、なんとなくいい気持ちになりました。それにしてもあの作品の元ネタの1つがモーツァルトの「魔笛」だったなんて。 ・村瀬学『長新太の絵本の不思議な世界』(晃洋書房) まさか長新太で1冊書くなんて。と思ったんですが、かなり熱い絵画論でした。長新太はナンセンス、というよりもかなり真面目な感じがすると思ったのですが(いや、ナンセンスであることと真面目であることは両立不可能ではありませんが)、丁寧に説明していただけると、そうかーなるほどーへー!という、小学生みたいな感じで、どんどん読んでしまいました。 ・浦沢直樹『マスターキートン リマスター』 そもそもマスターキートンを読んでいないのに何をリマスターしているんだお前は、という感じではありますが、それはそれでそれなりに面白く読みました。複数の方から「朴さんが浦沢直樹を読むならマスターキートンがいいんじゃない?」と勧めていただいているのですが、まだ読んでないという。最近ぜんぜん、新しい漫画に挑戦していないので、衰えを感じます。 ・藤枝理子『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?』 来るべきイギリス出張に備えて。って何を備えているんだって話ですが。多分アフタヌーンティーを優雅にいただいている時間はないと思われます。「イギリス人にアフタヌーンティーの飲み方を聞いても、みんな違うことを言う。なぜならそれは、出身階級によってマナーが全く違うからだ。彼らは紅茶の飲み方やサンドイッチの食べ方、その場での振る舞いを見て、相互に相手の属している階級を簡単に推察できる」というような説明が冒頭部分にあり、なんだか京都人が話し方でもって「あ、この人は京都のこのあたりの出身かな」とお互いになんとなく推察しあうような感じかなと思いました。あとアフタヌーンティーを主宰するのは、家でお茶席を設けるより面倒くさそうな気がします。 関係ありませんが、以前ストラスブール大学で知り合ったキルギスタン出身の留学生から「南キルギスタンでは「今度うちに遊びに来てください」と言われて本当に遊びに行くと驚かれる」と教えてもらいました。「あいつ、ほんまに来おったで……ひそひそ」と後で話題になるらしい。「私は京都という街で育ちましたが、京都でも人々はそんな感じでやりとりします」と返したところ「そんな南キルギスタンみたいなところ、他にもあるんやね!」と驚かれました。たぶん世界中に似たような話があるはず。

頂き物:『裸足で逃げる』

 太田出版の柴山さまから、以下の本をいただきました。  上間陽子,2016 『裸足で逃げる:沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版) http://www.ohtabooks.com/publish/2017/01/31163021.html  いただいたその日の夜に読み始めて、読み終えることができず、泣きながら一気に読んでしまいました。 タイトルの通り、本書には十代の後半(半ば)から、夜の街で働かざるをえなくなった女性たちの生活史(個人史)が書かれています。それは上間さんが調査者/支援者として関わってこられた記録でもあります。  本書の凄さについては、様々なところでいろいろな人が感想を書いておられます。特設サイトもあります。 http://www.ohtabooks.com/sp/hadashi/  そこに私が月並みな感想を連ねても、という気がしてならないのですが、しかし、この本は登場する女性たち個々人の、2つとない生の記録であり、同時に、沖縄という地域において貧困であることを克明に描きだしています。そして本書を読み進めるうちに、おそらく読者は、彼女たちだけでなく、沖縄だけでなく、世界中にきっとこういう女性たちがいる、という確信を抱くに至ります。私は、個別的なものを対象にする調査は、それが見事に行われた時、個別的なものの個別性を詳細に描くことによって、普遍的な(時に抽象的な)ものまで描きだすと思っています。が、それをここまで見事にやられてしまうと、「すごい」も「やられた」もなく、ただ感動するのだな、と知りました。  著者の上間さんとは、以前に雑誌『atプラス』の生活史特集号の打ち合わせをした時にお会いしました。その時、上間さんは用意してこられた原稿を研究会の席で読み上げられました(本書第1章「キャバ嬢になること」として収められています)。それはなんだか詩の朗読会のようでもあり、しかし紛れもなく調査の結果として生まれた文章の検討でもあり、とても不思議な時間でした。  この本はルポルタージュのようであり、小説のようであり(とか言ってますが私は小説なんてほとんど読めません)、いやむしろ詩のようでもあり(とか言ってますが私は全く詩について知りません、ごめんなさい)、しかしやはり調査の記録なのです。このスタイルは誰にも真似できない、真似したらその人が恥ずかしい思いをするだけ、という気がします。  そしてこの本は−こう言ってしまうととても陳腐で恥ずかしいのですが−愛を書いた本でもあります。母から子への、友人同士の間の、父から子への、男女の間の、そして何より、著者にして調査者である上間さんから、調査対象者にしておそらく友人でもある、本書に登場する女性たちへの。私が本書を読んで胸を打たれたのは、本書に溢れる、この愛の故だと思います(あー恥ずかしい!) どうぞ、お手にとってご一読ください。 この記事を書いているだけで泣くわ。この本ちょっとおかしいんじゃないでしょうかね。

Articles: irregular migration and “xenophobia” in Japan

論文が2本、刊行されました。 1本は2014年の11月に、韓国ソウルは聖公会大学にて報告させていただいた内容を、大幅に加筆修正したものです。趙慶喜先生に全てを丸投げしてしまいました……それでこの程度かYO!という声が全米から聞こえてくるような気がしますが、その通りです、としか申し上げられません。 でも、こんな出来であっても、韓国語の媒体に論文が掲載されたということは、とても嬉しいです。本当にありがとうございました。 もう1つ、Race and Classという学術雑誌に論文「Inventing aliens: immigration control, ‘xenophobia’ and racism in Japan」が掲載されました。勢いで書いたら、おそらく「日本の話って珍しいよね」的なノリで掲載されるに至ってしまい、今となっては恥ずかしいです……。でもなかったことにはできないのが論文なので、後日また自分で自分を批判して別の論文をきちんと出したいです。 http://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/0306396816657719 写真は、趙慶喜先生がお送りくださった写真です。何から何まで本当にありがとうございます!

シンポジウム等での報告

少し先の話ですが、今年3月、2週連続でシンポジウムや研究会で報告いたします。 1つは日本オーラル・ヒストリー学会のシンポジウムです。こちらは北海道大学の長谷川貴彦先生もご登壇なさいます。 ■テーマ  「エゴ・ドキュメント/パーソナル・ナラティヴをめぐる歴史学と社会学の対話」 ■日時  2017年3月11日(土) 13時30分~17時30分 ■場所  上智大学(東京) 2号館5階508室 http://joha.jp/news/676 もう1つは、3月4日(土)社会調査協会の公開研究会です。和歌山大学の西倉実季先生と、龍谷大学の岸政彦先生とともに、お招きにあずかりました。 ■テーマ  「ライフストーリーとライフヒストリー―― 『事実』の構築性と実在性をめぐって ――」 ■日時  2017年3月14日(火) 13:30~17:00(会場使用は13:00~17:30) ■場所  関西学院大学梅田キャンパス 1405教室(定員96名) どちらの報告も、社会調査で「昔あったこと」を調べるにはどうしたらいいのかについて、ごく普通の話をする予定です。博士論文の試問の時に、主査の先生から「自分の調査方法をそんな言い方しちゃだめだ、それじゃただの普通の調査だ」と(複数回)言われたことが思い出されます。 実は学部の時から東洋史学の演習に出ていたのですが、社会調査で「昔あったこと」について調べるときには、いつもその時の体験を思い出します。あの時に学んだが何も生かせていない、それで何一つできていない、という忸怩たる思いも共に。もちろん資料にも何ひとつ歯が立たず、その演習を生かして何かが書けたわけでは全くありません。あの程度の体験で、例えば歴史学における「過去にあったこと」の調べ方を語れる、とも思いません。それでも、やっぱりあの時にペルシャ語資料も漢文資料も読めないと苦しみ、資料のコピーを延々と眺めて時間を過ごし、「モンゴル語の語彙を調べるための辞書を読むためにドイツ語を勉強するって何なん? これ普通なん?」と戸惑い、「読めないのにめくるだけって意味あるんかなあ、ないよなあ」とつぶやきながらとりあえず漢籍をめくったりしたことが、全くの無駄になっていないのなら、それはとても嬉しいことだ、と思います。 当日は、私の報告はどう考えても大したことは話せないのですが、他の先生方と知的な交流ができることを楽しみにしています。ご関心をお持ちの方は、ぜひいらしてください。

12月に読んだ本

今月は何もしていないのに無駄に失速してしまって、仕事の本もそれ以外の本もあまり読まなかったです……。 ・ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポッター『反逆の神話』 …ここに書いてあることをデータで示せたら面白いとは思います。「右傾化」なんて単純な話ではないことは、もはや常識なのだから。あと今になってみるとオルト右翼(という言葉は出ていませんが)についての示唆的なことも書いていますね。 ・チャン・ピルファ、キム・ヒョンスク他『韓国フェミニズムの潮流』 …よ、読みにくかった……。ここに書かれている内容は90年代の議論だと思うので、その後の展開がどうなったのか、勉強したいと思います。 ・谷端昭夫『日本史の中の茶道』 …ただの日本史の教科書かと思うんですが、書かれていることの元ネタを遡ろうとするとけっこう大変な気がします(気がします、というのは、私が日本史の専門家でも茶道の専門家でもないからです)。そういう意味で、とてもいい教科書なのでは。 ・高良倉吉、高橋公明、大石直正『周縁から見た中世日本』(講談社学術文庫・日本の歴史14) …面白かったです。わくわくした。ハーフ済州人としては、高麗末期から朝鮮王朝初期の済州の男性が意外にも(今日の評判とは逆に)高麗・朝鮮王朝の資料には荒くれ者として登場するところに一番驚いてしまいました。「倭人」というのが「境界人」(と本文中にはありましたが、実際には「どこの人なのかわからないけどとにかく海で悪さをする人」ぐらいでは?)の意味で、「深処倭人」「日本人」とは別であることも知りませんでした。 ・大沼保昭、江川章子『「歴史認識」とは何か』 …とても平易に書かれた、誠実なメッセージの本でした。 ・馬田イスケ『紺田照の合法レシピ』第3巻 …なんだかんだ言ってまた読んでしまいました。獅子唐の肉詰めは思いつきそうなのに思いつかなかった。手羽元と蕪のグリルは美味しそうです。 ・諸星大二郎『壁』 …表紙のせいで、諸星先生の作品だと思えませんでした。あれ、何もドロドロ(絵柄的な意味で)してない……? ・『谷崎万華鏡』 …やっぱり変態的なものは文字だけ読んで、細部を想像で補う方が満足できる気がします。 地味に読みたい本が溜まっているので、1月(と言ってももう最初の1週は過ぎてしまったのですが)は挽回したいです。