単著を出版します

今月末、ナカニシヤ出版さまから、博士論文を基にした単著を出版していただくことになりました。

http://www.nakanishiya.co.jp/book/b307772.html

私は何かと考えなしにやり始めてしまって、勢いだけでどんどん進めてしまって、最後の最後が完成しなかったり、詰めが甘かったり、出来上がってから恥ずかしい思いをすることが少なくありません。むしろそうでなかったことってこれまであったのかな……ないような気がしてきた……。投稿論文も博士論文も、そして今回の単著もそういう感じです。なので、単著が出るにあたって、喜びや達成感というよりも、不安や恐怖の方がずっと大きいです。「これはないやろ」というデータの読み間違い、勘違い、極論・暴論・こじつけ、etc. が山ほどあるに違いない、「もっとああすればよかった」「どうしてこれができなかったんだろう」……すぐそういう気持ちになるに違いない、と思っています。これまで人前に出した論文は、投稿論文も博士論文も全て、出版されて1週間もすればそういう気持ちになります。早いよ。

いや、本当はこんなことを書くつもりではなかったのです。何を書こうかと思っていたかというと、単著には載せなかった「あとがき」を、ここに書いておこうと思ったのです。単著にはあとがきの代わりに何を書いたかというと謝辞を書きました(謝辞って普通、本の冒頭に書くんじゃないんですか、というツッコミはご容赦ください)。
というわけで、以下、あとがきが続きます。

大学に入った時の自分に、13年後にこんな本を出すよ、と言っても、おそらく信じないでしょう。大学院に入って以来ずっと「こんなはずじゃなかった」と思い続けています。研究職に就きたい、とはずっと思っていました。そういう希望を持つ環境で育ててもらったことや、それを実現できる関係の中にいさせてもらったことは、私の力でもなんでもありません。本当に幸運だと思います。でも、本当はこんなことを研究するはずではなかったのです
恥ずかしい話ですが、私はずっと、歴史学を研究したいと思っていました。それも、例えば中世ヨーロッパ史や13・14世紀ユーラシア史のような、今の日本や世界とは一見すると無関係そうなことを研究したいと思って大学に入学しました。人付き合いが好きじゃないし、だいたいどこでもあまりうまくいかないのはこれまでの学校生活でよくわかっているから、これから私は一生、好きな本を読んで暮らすんだ、そのためにこの大学に入ったんだから、と、2004年の春には思っていたはずなのです。
しかし「どうやら日本人の中には、私の親戚を面白いと思う人たちがいるらしい」ということは、中学校の頃から感じていました。ただ親戚の話をしているだけでウケる。関西人にとってそんな楽で「おいしい」話はありません。

私にとって、私の親戚はいつも謎でした。私に似ているところもある。けれども全く違う。彼らはいつも怒っている。彼らはいつでもお酒を飲んでいる。彼らはいつでも大声で話している。彼らは兄弟姉妹からお金を借りて返さない。彼らはバッハの「無伴奏チェロ組曲1番」と北島三郎の「孫」の区別がつかない。彼らは不思議な日本語を使う。彼らはジョン(韓国のピカタ)のことを「卵焼き」という。彼らは他の日本人とも、韓国にいる韓国人とも違う。何がどう違うのかわからないけれども、とにかく歩き方から話し方から、何もかも違う。そういう感覚をずっと抱いてきました。そして、たまたま「社会学って何をするのかさっぱりわからないから授業を受けてみよう」と思って受講した授業のレポートで「生活史インタビューをする」という課題が出された時に、いい機会だから誰かにインタビューをしてみようと思ったのです。
最初に伯父の1人が、3時間近くほぼ休みなしに彼の人生を私に語った後、私は京阪電車の車内で「この内容なら博士論文まで余裕だな」と思いました。私は非常に打算的でした。私は「ものすごく面白いネタの宝庫」に出会った。この宝庫の鍵は私しか持っていない。日本人は、いや、うまくすれば世界のあちこちにいる知的なマジョリティも、私が鍵を持っているこの宝庫の中のネタを面白がるだろう、と。そして何より、あの時に伯父が話したいろいろなこと−−子供時代の記憶、済州四・三事件とそれに関連する彼の移住、その後の大阪での生活、などなど−−について書く人は、私以外にはあり得ないと思いました。他の人が書くなんて許せない、という方が近いでしょうか。

ただ、実際に論文として書こうとすると、これが難しかったのです。エッセイのようなものだったらすぐに書けたのかもしれません。でも私は「社会学っぽいエッセンスをまぶした、左っぽい人にウケる文章」なんて書きたくなかった。私や私の親戚たち、そして調査の過程で出会ったハルモニ、ハラボジたち、彼らを支えるたくさんの人たちやその活動は、そんな手軽なネタとして消費されてはならない。彼らの経験は、日本人の、私なんか20回生まれ変わったって敵わないような、賢く厳しく学問を愛するあの人たちをして刮目させうるような、それくらいの価値を持たなくてはならない。そういう立派な人たちの過去に対する理解を変えるくらいの力を、私たちは持っているはずだ、と。
今にして思うと、どう考えても誇大妄想というか他の人の業績を何も考えていないというかなんというか……(だって私が書いている時点で、どう考えたってそこまで価値を持つはずがないのですから)。伯父さん伯母さん、ごめんなさい。
それに、自分自身の出自や来歴に関わることについて、私は冷静ではいられません。そして、私はできればいつも、少なくとも人前では、冷静で落ち着いて穏やかでありたいのです。本当は在日コリアンの歴史や差別の問題なんて関わりたくない。関わるならちょっと上の方から冷静にコメントしたい。いつもそんなことはできないわけですが。
だから、「よし、私はこのネタで博士論文まで行くぞ」と決めたあとでも(と言っても本当にそう決めたのは博士後期課程2年生の時だったのですが)、いつも釈然としないものがありました。今もあります。関わりたくない、触れたくない、考えたくない。でも考えずにはいられない。

以前、こういう状態がしんどい、と漏らした時に、とある優秀な日本人の男性研究者の方から「わかります、研究ってそういうものですよね!」と同意されました。違います。研究することや論文を書くことがしんどいのではありません。論文を書くことの苦しさや楽しさと、私がここで書いていることとは、まったく無縁のものです。その無縁さに気づかないでいられる人を、私は心から羨ましく思います。私もそのように研究してみたかった。そのような研究をするはずだった。でもそうできなかった。それは私の選択ですが、しかしそれでも私は、来世があるならあなたのように発言できる立場に生まれたい。

いや、やっぱええわ。
だってもし、私がいま、13年前の私に「こういう風になるよ」と教えたら、13年前の私はおそらく、やっぱり同じように不満を垂れ流しながら、結局は同じようなことをするだろうと思うからです。もっといろんなことを効率よくやるかもしれないけど、私なのでそこまで賢くもないでしょう。

というわけで、単著が出版されることが、とてもとても怖いです。できれば読まれないでほしい。いや、やっぱり読んでほしい。あ、ごめん、やっぱりやめてください。そういう気持ちです。まな板の上の鯉のような気持ちです。あとは皆様からの学問的ご批判を全て、ありがたくお受けします。どうぞよろしくお願いいたします。

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