イタリア・フランス出張(2)

ローマ滞在後、フランクフルトを経由して飛行機と電車でストラスブールにも足を伸ばしました。こちらは、ストラスブール大学で開催されている「ECOLE D’HIVER:Evaluation biographique des politiques de langues par les migrants en Europe」に参加することが目的です。生活史/口述史の強みを移民研究の中でどうやって生かし、使っていくかについては、知りたいことがたくさんあります。なので、このwinter schoolの主催者であり、ストラスブール大学の教授でもあるカトリーヌ・デルクロワ先生と、研究員で名誉教授のダニエル・ベルトー先生からこのお話を伺って、ぜひ参加したいと思っていました。 Winter Schoolというからには学生さんの発表が中心だろうと思っていたのですが、実際は研究所や難民支援団体の職員さんや大学教員の発表も多く(というより、私が聞いたのはそのような発表だけでした)、時間をたくさん取って、研究会とワークショップを組み合わせたようなものでした。1週間の日程のうち、最後の2日しか参加できませんでしたが、難民支援団体による言語プログラム、移民2世への言語教育と労働市場への統合といった話題について、フランスとドイツの政策や移住者の生活史を聞くことができました。知らないことさえ知らなかったような情報に触れることができ、非常に新鮮でした。 しかし、実は私はそんなことよりも、そもそも移住者に対する言語政策が国家レベルでも自治体レベルでも真剣に検討されているという事実に、今更ながら彼我の違いを感じてしまいました。当たり前のことではありますが、そもそも国家が難民キャンプの存在を認めている時点で、日本とは比較にならない。もちろん、ドイツにもフランスにも、移住者に対する差別や階級間の断絶や、(移住者か否かに関係なく)ジェンダーの不平等といった様々な問題があるでしょう。階級やジェンダー不平等の問題は、移住者の統合政策にも大きく関係しています。 にもかかわらず、同じ社会の中に、外国からやってきた人々が存在し、彼らがその国で生きて行くことが当たり前のこととして認識され、移住者であろうとなかろうと人権が守られなければならないというコンセンサスが政策レベルに存在している(からこのような議論や研究報告が可能になっている)ということに、ナイーヴにもショックを受けてしまいました(そしてそれを喋ってしまい、喋りすぎて、後で自己嫌悪に陥りました……)。 今後何をどうしていけばいいか、いずれにせよ腰を据えてやらないといけないなと感じて帰ってきました。 写真はwinter school会場と、今回お世話になったデルクロワ先生・ベルトー先生両氏(とそのお宅の猫)です。

イタリア・フランス出張(1)

11月20日の深夜から27日まで、ローマとストラスブールに行ってきました。ローマではポルテッリ先生にお会いし、この間の経過報告と今後の展開(?)に向けて、話し合いをしてきました。うまくいったらまたご報告しますね。お忙しい中、2日間にわたってお相手していただき、ありがたい限りです。彼は近年、イタリアにいるアフリカ系移民のオーラルヒストリーと音楽を収集しているということでした。移民研究まで手を広げておられたとは、全く存じ上げませんでした。相変わらず穏やかで、自分からは話さず、こちらの話す内容を聞き、観察しているご様子で、やっぱり怖かったです。 ローマから電車で1時間ほどかけて、テルニにも行きました。テルニは『オーラルヒストリーとは何か』の序章と第2部前半の舞台になった町で、翻訳している間じゅう、ずっと行きたいと思っていました。実際に行ってみるととても小さな町で、アッシジやオルヴィエート、チヴィタといった周辺の美しい村に比べると、どう考えても見どころはありません。しかし私は駅前の巨大モニュメント(製鉄所にあった機械を模したものだそうです)に興奮し、駅前の大通り(Viale Tito oro Nobili:イタリア社会党の指導的地位にあった政治家・弁護士の名前がついた通り)を激写し、ブリン大通り(『オーラルヒストリーとは何か』の序章で、鍵になる人物が殺害された通り)で声をあげ、という具合で、非常に楽しんでしまいました。 ローマといえばトレビの泉やスペイン広場が有名なようですが、やはりここはアルド・モロの遺体が発見された場所やムッソリーニがファシスト党独裁の宣言演説をしたバルコニーを見に行かねば、ということで行ってきました。正味2日間、その中にポルテッリ先生との話し合いもあり、非常に慌ただしい滞在でしたが、行ってよかったと思いました。 それにしても、レストランで何を注文すべきか迷っていたら助けてもらい、道を聞いたら連れて行ってもらい、荷物を運んでもらったり本当は入れないのではないかと思われる場所に入れてもらったり、イタリアからフランスに移動する飛行機の中ではバナナを頂いてしまったりと、行く先々でお年寄りに親切にしていただきました。もしかしたらものすごく子供に見えているのではないかと気にしています。結局「シニョリーナ」としか呼ばれなかったし。私は子供っぽいままおばちゃんになっていってしまうのだろうか……。 写真はテルニで撮ったものと、モロの遺体が発見された場所と、ポルテッリ先生です。  

書評:伊地知紀子『消されたマッコリ』

『ソシオロジ』第61巻2号に書評を掲載していただきました。 伊地知先生には学部3回生の時に、大学の調査実習でお会いして以来ずっとお世話になってまいりました。その先生の書評を、まさか私ごときが書かせていただくことになろうとは思ってもいませんでした。 学術雑誌に書評を掲載する場合、その本の概要に加えて、研究史上の位置付け・意義、疑問点や知りたいところを書くべきだと思っているのですが、私の知識不足のゆえに、どれも不十分に終わったというのが正直なところです。 それよりも圧巻なのは、伊地知先生のリプライの方です。私のとんでもない失言(日常生活でも失言だらけだということを自認していますが、まさか紙面でもやってしまったとは……)をさらりとかわし、私の稚拙な感想文(書評とは言えません)から先生のご高著の内容に踏み込み、最後は『オーラルヒストリーとは何か』にまで言及してくださいました。 通常、このような学術雑誌の書評というのは、若手の本を中堅・重鎮の先生方が教育的な意味を持って評するものではないかと思っていたのですが、今回は評する/評される立場が逆でした。とはいえ、まさに教育されたように感じています。伊地知先生、『ソシオロジ』編集部の皆さま、ありがとうございました。 まあそんなこと言ってないで、きちんと書評ができるような学識を身につけなさい、という話ではあるんですが。

新刊:『オーラルヒストリーとは何か』

こちらはもう新刊というには古いのですが、今年の2月に水声社から、翻訳を出版していただきました。 http://honto.jp/netstore/pd-book_27729355.html (amazonでは売らない主義の出版社さんのようですので、オンラインでお買い求めの際は上記リンクからお願いします) これは『最強の社会調査』よりもずーーーーーっと長い時間のかかってしまった企画で、そもそもは確か学部の3回生の時に『記憶から歴史へ: オーラル・ヒストリーの世界』(ポール・トンプソン著、酒井順子訳)を読んだ時に、方法論について書かれた第4章で、ポルテッリの名前が挙がっていたのでした。この本は読まないといけないな、どうやらこのAlessandro Portelliという人の本の中では、The Death of Luigi Trastulliという本が一番有名で、読むならまずこれなんだろうなと思ったものの、大学の図書館には所蔵がなく、amazonで取り寄せて読んだのはもうちょっと後でした。修士1回生の時に、当時唯一それなりに出席していたゼミの先生に「こういう本があって、面白いんですよー」と言ったところ、先生が「パテントとって、翻訳してみたら?」と言ってくださり、そうか、翻訳するという手があるのか、と初めて思いいたったのでした。 それからちまちまと自分で訳してみて、全訳はともかく抄訳だったら出してもらえるのではないかと思い、先輩方から企画書の書き方を教えていただいて、いくつか出版社さんに企画と翻訳をお送りしてみるもすべて断られて、やっぱり無理かなあと思っていたのが博士課程の最初の頃です。幸運が重なって、今は出版社・共和国(editorial republica)を創設された下平尾さんに出会わなければ、そのまま日の目を見なかったと思います。しかも下平尾さんは「抄訳でいいんじゃないでしょうか」という私の弱腰に対して「いい本だから、全訳しましょう!」とものすごくかっこよく、背中を押してくださいました。ありがとうございます。下平尾さんの後を引き継いで、本当に本当に雑な私の仕事を丁寧に見てくださった、水声社の後藤さんにも、お礼を申し上げます。ありがとうございました。 今になってみれば、イタリア現代史も社会運動も全く専門外で、イタリア語はアルファベットが読めるだけ、というレベルで、よくもまあこんな恐ろしいことをやってしまったものだと冷や汗が出るのですが(本当に出ています)、それでも、出せてよかったと思っています(冷や汗ではなくて、本を)。オーラルヒストリーの教科書的な本は、すでに何冊か出てはいるのですが、やはりあくまでも教科書で、残念ながら、読んで面白いものではありません(オーラルヒストリーの専門家には面白いのかもしれませんが。「ほー、ここをそういう風に言いますか」という意味で)。自分で訳しておいてこんなことを言うのも何ですが、この本は面白いです。イタリアとアメリカの労働運動をテーマにし、著者自身もおそらく(むしろバリバリ)社会運動に関わっているにもかかわらず、いや、だからこそ、善意にあふれ正義を信じた、素朴で愛すべき活動家たちの矛盾を突いてしまう。調査の中で語られる生活史はそれ自体面白いものですが、それを歴史として分析する著者の筆致の方も、同じくらい(私にとっては調査対象者の語ること以上に)わくわくさせられます。 ポルテッリに一度、この本の出版が決まった時に、会いに行きました。小柄でキュートなおじいちゃんです。もっと強面なんじゃないかと思ったら全然違いました。でも自分からはほとんど話さず、にこにこしながらただこちらを観察して、私が何を話すのかに注意を向けていました。怖かったです。 私個人としては、この本は「我らはなぜ勝てなかった(勝てない)のか」という総括の本ではないかと思っています。その答えは、ポルテッリにはそれなりに思うところがあるけれども、本の中に直接には書かなかったのではないかと。 今度、著者に確認してきます。ちょっと怖いけど。

新刊:『最強の社会調査入門』

今年の7月に、『最強の社会調査入門』という本を刊行しました。 この本には、編者・著者として4年ほど関わったので、ようやく出せた、という気持ちと、もうちょっと早く出せたはずだ、という気持ちと、両方あります。 タイトル(と書影)は強気ですが、中身は(編著者が言うのも変ですが)かなりきちんとした調査の本になっていると思っています。どういうところが「きちんとした」と自称しているかというと、 ・調査者は調査の時に何をしているかという点について、これまでなかったほど詳しく紹介している ・その結果が何(どんな論文・本)になっているかを明示している という2点です。 社会学の質的調査(この言い方も変といえば変ですが)というと、「どうやったらいいか結局よくわからない」「何をやってもいいんでしょ?」「いい加減なんじゃないの?」「何をどうしたら社会学っぽくなるの?」などなど、いろいろな疑問を持たれる方も多いかと思います。一応、本書の最後には「社会学っぽくするための秘密」のようなものも開陳しています。もちろん、異論・反論は様々にあるでしょう。「社会調査とは何をすることなのか」という問いから「社会学とは何をすることなのか」についての意見を戦わせることができれば、と思います。 個人的には、この本の編集に関わらせてもらって、面白い調査をしている同世代の研究者と知り合えたことが一番の収穫でした。自分1人ですることよりも、いろんな人と関わって作っていくことの方が(人にもよるかもしれませんが、私は)だいたいうまくいく。期せずしてちょっと「社会」っぽいオチがつきました。 まもなく重版ということで、その点も大変嬉しく思っています。 以下のリンク先は特設サイトです。目次の紹介・本文の一部が読めるほか、本をお買い求めになられた方にはわかる、論文・本へのリンクが付いています。 http://maedat.com/works/saikyo.html

お知らせ:研究報告

立命館大学国際言語文化研究所で報告させていただきます。 連続講座第4回 戦後日本における越境者と出入国管理体制 日時 2016年10月28日(金)17:30〜19:30 会場 立命館大学衣笠キャンパス 創思館 カンファレンスルーム 報告者: 朴沙羅(神戸大学)「「外国人」を作り出す:占領期日本への移住と入国管理体制」 高野麻子(明治薬科大学)「戦後日本の再編と外国人登録法の指紋押捺」 司会・コメント:南川文里(立命館大学) 予約・参加費不要 チラシはこちらです。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kikaku/2016/20161007_1028_renzokukoza.pdf