Monthly Archives: March 2019

書評報告(京都歴史学工房)

またしてももはや昨年のことになってしまいましたが、京都大学人文科学研究所で行われた京都歴史学工房にて、『「紛争化」させられる過去』(橋本伸也編、岩波書店)の書評をさせていただきました。リンク先を見ていただければわかる通り、この本はソ連/ロシア・韓国・フランス・オーストラリア・東南アジア・エストニア・日本における記憶の政治、あるいは政治・外交問題としての歴史認識論争を扱ったものです。どう考えても私では役者不足もいいところです。なぜこれの書評が私に回ってきたのだろうと考えると恐ろしいものがあります。が、この本を繰り返し読んで、どのような問いを、なぜ問うのか、そのためにどんな対象を選び何を分析しているのか、その問や発見された事柄は何に関連しているのか、といったことを考えるのは、大変面白く、得難い機会でした。編者の橋本先生と、コーディネーターの金澤先生・藤原先生に御礼申し上げます。
この本は「近年のグローバルな政治の場を彩るのは、世界の各所で過去が政治化され紛争化させられる実にさまざまの局面である。本書は、こうした現代の国際関係と政治の焦点としての過去の取り扱いのはらむ問題性を、記憶と歴史の政治家と紛争化という視点から多角的に論じようとするもの」(p.vii-viii)で、目的は「過去が政治化され紛争化させられる様相を、ポスト冷戦期の世界に固有の新たな特徴を帯びたものとして適切に捉えること」(p.163)です。そして「我々は、歴史が政治化され紛争化させられる時代に生きている。そこで争われているのは、過去に仮託された現在に他ならない。そのような中で歴史家たる者の役割」(p.186)への問いも提起されています。詳しい内容は本に当たっていただくとして、大きな論点としては
・歴史認識と国内・国際政治との関係
・過去の事実についてのただ一つの正しい理解があるのか、それとも多様な解釈があるのか
・どのようにすれば歴史認識論争から多少とも実りある(いたずらにナショナリズムや差別・植民地主義や排外主義を広げるだけでなく、政治的和解や歴史学的知見をもたらすような)結果が生まれるのか
・歴史研究者の役割とは何なのか
といったトピックが論じられています。
また、関係する話題としてはやはり政治・外交史としての歴史認識論争や、「下からの歴史」としてのオーラルヒストリー、そして歴史におけるポストモダニズムといった古くて新しい(?)問題も挙げられます。
そして、当日には詳しく述べられなかったのですが、このような歴史認識論争が、一種の民主化というかポピュリズム的な、「私の被害を述べる」(=被害体験が聞き取られる)ことが可能になり、英雄が被害を受けた人々の中に見出されるようになった、そのこと自体は素晴らしい変化の中で、生まれてきたということの深刻さは、この本の通奏低音となっているように思います。イデオロギーからアイデンティティへと、政治的な言葉の使われ方が変化していくことによって、個人の被害をそのようなものとして語れるようになった。しかしそれがいかにして何をもたらしているのか。この点も、この本が取り上げている大きな話題だと思います。
繰り返し読む中で頭に浮かんだのは、記憶と歴史と過去を切り分け、それぞれが歴史学研究の話題になりうるだろうということでした。個人であれ集団であれ、何が記憶されたり歴史にされたりするのかということ自体も研究の課題になります。
それに関連して、多様な歴史叙述の並立は可能なのか、それとも過去についてのただ1つの真実の理解なるものがありうる(あるべき)なのかという点も興味深い論点だと思います。実は以前、勤務先の学生さんから「あなたは歴史学の事実は1つなのか複数なのか、どちらだと思うのか」と問われたことがあります。私は「無限に複雑に記述できる1つの現象がある」、かつ「ただし、何をどのように記述すべきかは、その現象を記述する状況が決定する」と思っています。
そして、この本はまた、学術と政治の関わりについても問うています。紛争化「させられる」過去とはいったい何なのでしょう。どのような状態なら、過去は紛争化しないのか。紛争化しないのが望ましいのか。学術研究なら過去は紛争化しないのか。しない(あるいは政治的な紛争とは異なる)のであれば、それはなぜ、いかなる点で? こういった点について考えることは、研究者と政治運動との関わり(関わりたくない・関わるべきでない・専門家として論文や書籍等を通じて禁欲的に関わるべき・専門家として積極的に関わるべき・活動家として(=非専門家として、私人として)積極的に関わるべき などなど)についても考えないといけなくなるのだなあと思います。
フロアからは、現在の東欧における歴史学と政治学との関係や、過去が「紛争化しない」状態とはいかにしてもたらされているのか(それは望ましい状態なのか)、歴史学者は歴史改竄主義とどう渡り合えばいいのか(歴史改竄主義は歴史的な事実について争っているかのように見せているだけで、実際のところ重要なのは過去の事実ではないから)といった、非常にアクチュアルで激しい議論が交わされました。私は、自分には歴史叙述はできないけれども、歴史を聞いたり書いたりするプロセスなら、社会学的に見ることはできるかなあ、それだったら歴史学者のお役に立てるかなあ、と思っています。

国際結婚を考える会 秋の関西例会

11月4日に、国際結婚を考える会・秋の関西例会「重国籍のリアル なってしまうこと、選べないこと」を企画・報告させてもらいました。いわゆる「ハーフ」や重国籍が(だいたい悪い方向で)注目される昨今、実際のところ何に直面し、何が問題で、どうなってほしいのか、話し合いたいという気持ちから企画しました。大阪大学の岡野(葉)翔太さんからは、内容の詰まった、しかし明確でわかりやすく、しかも辛辣で、かつユーモアに富んだご報告をいただきました。
実際に教壇に立っていても、多様な出身の学生さんに出会うことがあります。友人の中にも多様な国籍のカップルや家族がいます。いつも国籍の話をしたり書いたりするときは、そういう人たちを思い浮かべています。重国籍については、割と有名な方でも調べずに書いたり話したりなさることがあるようで、当事者は困っちゃうよね、と。
じゃあお前は何に基づいてどう考えているんだよというと(法律の話なので、素人が考えも何もないと思いますが)次のリンク先を読めば、だいたいのことはわかるだろうと思っています。

「蓮舫氏の『二重国籍』は問題なし。説明責任は法務省にあり:奥田安弘×荻上チキ」

投稿論文の報告

・書評論文
昨年3月に関西ジェンダー史カフェで『古都の占領』(平凡社)について報告させていただきました。でも一度報告するくらいでは言い足りない、と思い、勤務先の紀要に書評を書きました。2018年7月に刊行されました。以下のリンク先から読めると思います。
神戸大学神戸大学学術成果リポジトリKernel

・論文刊行
今年1月、ジャーナル『理論と動態』第11号に「そして「父」になる:出生後認知による日本国籍取得手続きから見る戸籍制度」が掲載されました。
研究所ウェブサイトはこちら
タイトルの通り、生後認知によって日本国籍を取得する手続きについて書いたものです。長年お世話になっている京都YWCA/Asian People Together:APTとの関わりと、畏友からの協力で書くことができました。また、調査データや法律等の条文を行政社会学研究会(こちら)で報告させていただいたことで、論文の形にすることができました。主催者の酒井泰斗さま、研究会の皆さまに感謝します。

ゲスト講演会など

昨年やらせてもらったことの報告が続きます。

・多民族共生人権センター(2018年11月16日)
昨年には研究報告やゲストレクチャーの機会もいただきました。大阪市の多民族共生人権センター主催の研修会では、在日コリアンの歴史と法的地位について、関西の企業の方々にお話しするという、私に務められるのか自信のないような大役を仰せつかりました。当日も緊張してしどろもどろだったような気がします。が、始まる前に難しい表情をしておられた方が、終わってから「ややこしいんだってことがわかった。難しいってことがわかりやすかった。ありがとう!」と声をかけてくださり、一気に肩の力が抜けました。終わってからの意見交換会では、多様な在日コリアンの法的地位と権利の一覧表のようなものはないかというリクエストから、朝鮮籍の人は、どういう思いでその地位を維持しておられるのかという、私が代わって答えることのできないようなご質問もいただきました(こちらについては、代表の文公輝さんが「自分が生まれ落ちた状態のままいるだけで、なぜそれを問われなければならないのか、そっこを考えてほしい」というような応答をなさり、私は「ほんまそれ!」と心の中で激しく同意していました。あかんやん私。

・神戸学生青年センター むくげの会ゲストデイ報告(2018年11月20日)
こちらは、六甲の駅から神戸大学に向かって歩いて行くと毎回必ず横を通ります。が、中に入るのは実は初めてでした。代表の飛田雄一さまにお招きいただきました。飛田さんといえば、戦時中の神戸港での強制労働の研究の第一人者にして、『』の著者でもある方です。ゲスト報告ということで、研究会の日に伺って、これまでの研究内容の紹介と、今やっていること、これからやりたいことをお話しさせていただきました。むくげの会にいらしていた方々は、古代から戦後まで、朝鮮史や日朝・日韓関係のご研究をされていて、私が話すようなことなんてあるかなぁ、と思うくらいでした。大げさでなく、こういう方々が北東アジアの平和を支えておられるのだと思います。

来てくださってありがとう、と言っていただけるのですが、むしろ私の方が教わることが多くて、お声をかけてくださってありがとうございます、という気持ちです。